2015年6月10日(水)~9月4日(金)

[ 2015年9月2日・シンシナティ ]
今日でアメリカ生活も終わりです。
ボストンで1ヶ月、シンシナティで2ヶ月、長いのか短いのか?バタバタと過ぎた3ヶ月でした。こちらの友達とも一層親しくなり、よく受けた質問には、オバマ大統領のことはどう思っているのか?と、何度も尋ねられました。
英会話のことですか、一通りの会話は出来ますし、困ることも無いですが、それでもまだまだですね。
いろいろ嬉しいこともありました。
シンシナティ美術館に数点の作品がパーマネントコレクションとして取り上げられました。そして来年はボストンで個展も出来そうです。
シンシナティの夜景を見るのもしばしのお別れ、今は心地よい疲労感に包まれています。明日の朝、good-byeです。


[ 2015年9月1日・シンシナティ ]
今日でスタジオは終わり。
友達やスタッフの人たちが集まって来てランチパーティー してくれました。最近は個人的なお別れパーティーも何度 かしていただき胃が少し持たれています。


[ 2015年8月27日・シンシナティ ]
今日、おいらの “お母さんたち” が、帰りも近くなってきたのでお昼ごはんをご馳走してくれました。ダウンタウンにあるメキシカンレストラン。大変美味しくいただきました。皆さん、スタジオで作品制作に励んでお見えの方々です。物作りの人はいくつになっても元気ですね ^o^


[ 2015年8月17日・シンシナティ ]
「手」が焼きあがりました。チョッと気にいっています。


[ 2015年8月9日・シンシナティ ]
日本人が杓子定規なのか、アメリカ人かアバウトなのか良くわからないけど、スタジオの隣のスーパーの食品を買い付けに消防車が何台も来られます。
買い物後スーパーを後にする時、イキナリ、サイレンを鳴らして帰って行く姿、とても日本ではあり得ません。余程、腹が減ってあるんでしょうね !?


[ 2015年8月3日・シンシナティ ]
友人のJohnがパーティーをしてくれました。閑静な住宅街でとても住みやすそうな所でした。明日も飲み会があるかも! 3日連続です。

[ 2015年8月2日・シンシナティ ]
最近ね、ニュースとか見ていると「何とかハラスメント」という言葉が頻繁に出てくるけど、おいら、それ、やめた方がいいと思うけど!
なんか流行に乗った、おバカに見えます。
はっきり言うと、何かにつけて被害者ぶるんじゃねーよ‼️ って感じかな^o^

[ 2015年8月1日・シンシナティ ]
私が講師をしている FUNKE FIRED ARTSスタジオは、こんな感じです。
陶芸スタジオとしては大変大きく、小さな子供たち向けのクラスからかなり専門的なクラスまで様々です。
今回は、抹茶碗の作り方をインストレーションのクラス2つ受け持っています。
抹茶碗のクラスは、精神性の話まで入り込むのでとても難しいですが、なんとかこなしています。

[ 2015年7月31日・シンシナティ ]
下世話な話ですが、アメリカと日本人の違いは?と聞かれたら、おそらく大した違いは無いと答えると思います。それでも、敢えて答えろといわれれば、全く個人的な感想ですが、例えば、コンピューターはメモリーとCPUで成り立っていますが、日本人はメモリーが大きくアメリカ人はCPUが発達していると思います。
これは教育にも現れていて、入学試験などは沢山のことを記憶していないと合格できない日本と、入学は簡単だけどなかなか卒業させてもらえないアメリカの大学の違いでもあると思います。
ということは、もし、日本がある程度CPUのことを考えた教育制度を作り上げたら本当に素晴らしいことになると思いますがねー。
まぁ、それでも両方ダメな国もある中で、片一方でも優れているということは幸せだと思いますけどね!

[ 2015年7月21日・シンシナティ ]
シンシナティと関係を持って12年になります。その間、アメリカと日本の違いは何か?そんなことを思いながら過ごしていました。
まぁ、多人種で複雑なことは確かですが、日本だって似たような顔してても様々な考え方持っているし、かなり複雑だと思います。
最近、一つの答えをみつけました。アメリカ人はbetterを求め、日本人はBestを探し続けているのでは無いかと。アメリカにはBestは存在しない。そう国民が思っているから、一度決議されたことには潔く従う。
ところが日本はどうでしょう? 決議されたことであっても、反対派は往生際悪く何時までたっても騒ぎ立て、有識者も駆り立てて諦めない。
そもそも、有識者と云っても物理の先生や法律の先生。先生にもいろいろあって、なんでごちゃ混ぜで有識者の意見って言うのか、おいらにゃ全く理解出来ません。
本来なら、マスコミなどが正すことであると思いますが、逆に煽っています。ダメですね。
話は戻りますが、日本もBestでなくbetterな社会を目指すことが、これから日本が世界に貢献する上に置いてもプレゼンスを発揮する為に必要なことと思います。

[ 2015年7月15日・シンシナティ ]
家からスタジオまではトレーニングを兼ねて毎朝2.5キロ程の道程をバス停まで
歩きます。更にバスで約50分。バスは黒人居住区を抜け、やがて白人街を通りスタジオに至ります。黒人街はチョット危ない感じと共に生活感が強く滲み出ていて好奇心を刺激します。気軽におススメは出来ないけど、機会がありましたらバスに乗ってみるのも悪く無いと思います。
そんな処から、アメリカとは?日本とは?、現実も見えて来ます。

[ 2015年7月6日・シンシナティ ]
3 週間過ぎまして、ボストンからシンシナティに移動しました。
ストンでの日々は新鮮でアメリカと云う国を知る上でも良い経験が出来たと思っています。
東海岸、内陸、西海岸、同じアメリカであっても考え方、方言など、随分差が有るのではないかと感じています。良く日本の友人が英語が聞き取れないと言われますが、日本でも北と南で言葉に違いがあるのに広大なアメリカ、とても同じ英語だとは思えません

ボストンの友人が言いました、彼のアイルランド系の友人の言葉よりお前の英語のほうがずっと良く理解できる!と。
マァ、そんな国ですから、考え方も其々で、小さな事などに構ってられません。
団扇か団扇でないかと重箱の隅をつついて国会でモメる。これも平和の証拠かもと思います。

[ 2015年7月2日・ボストン ]
ボストンでのスケジュールも無事に終わりました。沢山の新しい友人もでき。来年に向けての話もありました。今までにない作品も制作いたしまして、評価も頂きました。
明後日からはシンシナティで講師と作品制作です。
毎度のことながら思うことは、少し背伸びして頑張ってアピールすること大切さです。やはり通り一遍では評価していただけませんね。

[ 2015年6月28日・ボストン ]
今、滞在しているのはボストンから南へ車で40分くらいのシチュエイトと云う町。此処からさらに南へ20分くらいの所にプリマスと云う町があります。其処はメイフラワー号が1620年に到着したといわれている場所です。長い航海の末辿り着いてタッチされた岩石”プリマスロック''が記念碑として残されています。
見ればなんともつまらないタダの岩石ですが、その昔に思いを馳せますと感慨深いものがあります。
ところで、人生を長い航海に例える方がありますが、この世に生誕して始まる航海、いずれは最期の日が来ます。まさにそのオサラバの瞬間に 「あー着いたー!航海が終わったー」と思えたらどんなに幸せのことでしょうね。
その為に充実した人生を送り、自分のプリマスロックにタッチしたいものです。

[ 2015年6月15日 ・ボストン ]
人との出会いとは不思議なものです。
今、ボストンに滞在しているのも偶然、ボランティアガイドをしている友人がアメリカ人を私の工房に連れてきたことに由来します。
女性の二人組でうち一人がボストン在住の陶芸家であったことから親交が始まり今回の訪問にいたりました。
滞在地はボストンより南へ1時間程ドライブしたシチュエイトと云う町で、昔は漁村、今はヨットハーバーやシーフードレストランのある所です。風光明媚なこともあって、ボストンへ船で通う富裕な人たちもお見えになるそうです。
この地の焼物には日本の民藝の匂いがします。益子焼、おんだ焼き、バーナード リーチ、濱田庄司 そんな名前が頭の中を巡ります。
シンシナティは九谷、ボストンは民藝、そこには人のつながりを感じます。
何でもかんでもパソコンでコミュニケーション取ってしまう昨今、其れでも用は足せるでしょうけど、たまには手土産片手に訪問する。そんなアナログなコミュニケーション、今の忙しい日本に必要かもしれませんね。
 
ボストンの友人の工房です。
こんなものを作ってみました。