2017年6月9日(金)~9月5日(火)

[ 2017年9月4日・シンシナティ ]

今回の滞在記はこれでオシマイです。
出発を控えて、帰りたいような帰りたくないような気分です。
夢のような3ヶ月はアッと言う間に過ぎ、明日からは「しがらみ」でドロドロにもつれた「リアル世界」が、手ぐすね引いて待っています。
皆さん、どうかお手柔らかに! 
今回もご高覧ありがとうございました。


[ 2017年9月3日・シンシナティ ]

滞在も残りわずか。
今日は、友達のジョンとスティーブがバーボンの醸造所に連れて行ってくれました。家から3、40分の所にある酒蔵です。
中はとてもシンプルで、高級路線で頑張ろうとしているみたいです。
スタッフは総勢10人位のコンパクトでハイテク感のある酒蔵でした。
試飲してみたところ、とても深みのあるバーボンでした。
ショップにいろんなグッズも併せて販売していました。



 

[ 2017年9月2日・シンシナティ ]

今夜、私たちはオハイオ川を挟んだシンシナティの対岸の町コビントンで、惜別の酒を酌み交わしました!
彼らはとてもすばらしい友達です!
これは、シンシナティの親しい友達との最後のパーティーでした。
でも大丈夫! 
私たちはいつでも連絡を取り合える仲です、ボストンの友達もしかり!
いよいよ月曜日に帰途に就きます。

シンシナティの皆さん、また会いましょう!

 

[ 2017年9月1日・シンシナティ ]

【徒然なお話-6】
滞在もあと数日。こうなるとスタジオに赴いてもすることも無く、行ったところで知人とたわいも無い会話して帰って来るぐらいの日々です。
そんな中でレクチャーを通して知り合った人たち、こちらで出来た友達など、いろいろ思い越してみることもあります。
正直言って日本人とアメリカ人の違いがよくわからない。アメリカ人といっても友人のなかにはトルコ人もいればスウェーデン人もいる、黒人もいるわけで、言い直せば日本人と世界の人々。それであっても話していても酒を呑んでいても、それ程の違いは感じられない。私が少しズレた日本人かもしれないが、普段の会話の中ではそんなものです。
ところが、日本対アメリカとなると少し話が違ってくる。
以前に太平洋戦争の話題になった時など、日本の責任を問うアメリカ人に白人の当時の植民地政策の非道を説明しつつ「勝者の正義と敗者の悪、そしてかつてのヨーロッパ人がピリグラムとして大陸に流れ着き、アメリカインディアンに対する悪行も神の思し召しか?」と何人かの前で話したことがある。
ついでにこうも付け加えた。「私は苦手な英語で話している、不利な状況の中で話している。」
私がアメリカ人が好きなのは、そんな話題も終われば、サッサと次の話で笑いながら話せることである。モチロン、自分自身の ルールで90パーセントのエネルギーでケンカして、残りの10パーセントは禍根を残さぬように、自分なりに余裕を持ってケンカしているつもりではあり、それが失敗した時はそれはそれで不徳のいたす処と諦める覚悟もあります。が、幸せなことに今のところ大丈夫です。むしろアヤフヤなことで頷いているよりアメリカ人にとって好ましいかもしれないし、10パーセントが意外と大きな効果を発揮し、こいつとはケンカしても大丈夫!と思われているかも知れません。そして論争のあとに、必ず「ありがとう、大変よい英会話の勉強が出来ました!」と付け加えることにしています。
ただ、気をつけていることもあります。他人の縄張りに土足で足を踏み入れないこと。例えば、私の友人には反トランプ大統領派が多く、「お前はどう思うか?」と頻繁に聞かれました。そんな時の返事は「私はアメリカ人で無く、日本人。あなた方の問題だから知りません」と。すると残念そうな顔をするので、「トランプは何んか昔のカウボーイ映画に出てくる悪役牧場主みたいですね」と答える、すこし相手の顔が微笑む。それ以上深くは立ち入らないようにしています。
また、逆に少々の情報により日本政府に対して意見、非難を言うアメリカ人には「意見を言うことは結構だが、自身で確認した上で話しているのか?」と怒ります。
いずれにいたしましても、厚かましく他国に意見したり、他国民と一緒になって自国の悪口を言うような人間は、結果として信用されるはずも無いし、誰でも一歩海外に出れば国の代表者となり、振る舞いには気をつけなければならないと思います。
何を物知り顔で話しとる!とお叱りの向きもあろうかと知りつつ、覚悟で書かせていただきました。
あと少々で帰れると思うとやはりホットしています。
これをもって、今回もおしまいにしたいと思います。


[ 2017年8月24日・シンシナティ ]

今日、インディアナ州にあるマディソンという町に行って来ました。オハイオ川沿いの人口50,000人位の古い町で、目抜き通りにはアンティークの店がたくさんありました。みかけはあまりにも古くさいホテルのレストランで one plate のランチ食べ、その後歩いていると不動産屋があり、お値打ち物件もありました!





 

[ 2017年8月22日・シンシナティ ]

【徒然なお話-5】
アメリカ滞在も後2週間。
することもないし、ボーとイロイロ自分のクラスのことを振り返ったりしています。
教えていると、みんな直ぐに難しいとか出来ませんとか言いますけど、よくよく考えてみると、この世に生まれて一年努力して歩けるようになって、三年頑張って少し日本語が話せるようになり、大人になってからは2年位努力してゴルフのスコアが100を切る。
いずれにしても3年くらい頑張れば モノになるわけで、自分の人生80歳と考えれば70歳の人も3年の努力で7年間楽しめて、満足してこの世とオサラバ出来ると思います。


[ 2017年8月16日・シンシナティ ]

【徒然なお話-4】
先週、無事にクラスを終えることが出来ました。最終日は、今までの復習、施釉方法の例、そして抹茶碗を作るにあたっての心の話をしました。
抹茶碗を作るにあたって大切なことは、幾らかの技量は大切ではあるが、併せて心も大変重要な要素ではないだろうか?と、まるで自分に言い聞かせるようにレクチャーしました。 抹茶碗は単なる器でなく、他の道具と共に客人をもてなす仕掛けであり、唯一客人の手の平で感触を味わう道具でもあります。そんな茶碗の作り手としては自分の持てる技量を存分に使うことは当然のことながら、一つの器に思いの丈を込めじっくりと作ってほしいと話しました。
そんな中で再度侘び寂びの説明に迫られました。そこで
私の出した結論的説明は、例えばアメリカ人から侘び寂びとは何か? との質問を受けた時、彼らの脳はビジュアル的に「錆び付いたもの」とかの答えを予想しているはずです。ところが、日本人の頭では形状認識ではなくてもっと抽象的なものとして捉えており、一つの例として、松尾芭蕉の「閑や岩にしみいる蝉のこえ」という句を聞いた時に、たちどころに鳴いている蝉はヒグラシだろうなぁ、などと想像して鳴き声が消えゆく様が岩に染み込んで行くように見えると想像するのです。 日本人にとって、侘び寂びとは精神的なものであり、そして抹茶碗を作りたいという異国人にとってはとてもミステリアスかつ魅力的な言霊(ことだま)であると思います。
さらに申せば、昨今日本も外国からの観光客が増加中であり、侘び寂びなど言霊に惹かれ訪れる観光客も決して珍しい話でないし、 2020年のオリンピックの頃には4000万人の観光客誘致と言われている向きもありますが、「諸行無常の響きあり」とならないよう、数字にこだわらず安定的に質の高い観光客のための誘致に向け国にも頑張って欲しいし、その為にも受け入れ側も普段から日本の伝統文化を理解して、維持に努め保守的と言われようが古いと言われようが頑なに守るべきものは守る姿勢で臨みたいものです。
話が少しずれましたが、私が生徒に話した最後の言葉は、深山の谷に流れる冷たい綺麗な水、余分なものは加えないが、ひと時の疲れを癒し安らぎを与えるなににもまして美味しい水。そして、 頭で考えるな!感じよ! それが侘び寂びの精神である! と意味不明な言葉でクラスを終えたのです。
(下記黒板画像参照)


[ 2017年8月13日・シンシナティ ]

この方はシンシナティ市営バスドライバーのジーンです。
乗った時はいつも話をします。

 

[ 2017年8月11日・シンシナティ ]

先週の土曜日でおいらのレクチャーは終わりました。
最後の講義は「侘び寂び」とは何んぞや?でした。
どうしても抹茶碗を作るにあたって、避けては通れない課題として残っていました。最終的に話した言葉は、谷川の水の如く清らかでさりげなく、なおかつ美味しい。
余分な物は省いて「何も足さない、何も引かない」シンプルさ。
コリャーお酒の宣伝でしたね〜!
それが「侘び寂び」と説明しました。判ってくれたような気がしました。

 

[ 2017年8月7日・シンシナティ ]

昨日でおいらのクラスも終了。何もしたくないので家でボーとしています。
ニャンコは、人見知りの「マリコ」と腹ヘリの「トラ」です。

 

[ 2017年8月1日・シンシナティ ]

【徒然なお話-3】
シンシナティに移動したのは7月7日、3週間が過ぎました。
人に会い、作品制作、レクチャーの準備などしているとあっと言う間の3週間でしたが、作品制作もレクチャーのテーマが抹茶碗。準備と同時進行が出来るため、順調にこなせ、まだ1ヶ月以上の滞在期間があるのに、昨年までとは大違いでした。
この3年、あいも変わらずの抹茶碗の作り方が私のレクチャーのテーマではあるものの、レクチャーの初日は日本人でさえも抹茶碗に興味のある人はとても少ないのに、アメリカ人に抹茶碗を理解させるにはどうしたものか、また、昨年と同じではなく、より洗練された方法で楽しませて学んでもらえるように、教える側としても随分勉強させられます。
その為、友人に頼み込み茶の湯の講義お願いし、私なりの侘び寂び感を話し、私の作陶のための道具の話しなど、短い時間の中で取り入れ、ロクロに向かうだけでなく日本の陶芸を知ってもらえるようにしているつもりです。
この毎年の変化は私にとってとても大切なことで、同じことを教えているだけならおそらく来年は来る必要がないことになります。
この5年間で私の生徒は50人を越し、2度目の方も出て来て、そうでない方も何かと聞きに来てくれることが大変嬉しいことです。
ところで、前の滞在先のボストンでも一回限りのレクチャーを行い、その時も抹茶碗について話し、その他陶芸家になった理由を聞かれ、父の兄が「幸兵衛窯」六代目で人間国宝の故加藤卓男先生でペルシャ陶器を再現したこと、今は七代目を加藤幸兵衛先生が継いでいること、そして私の師匠が同じく人間国宝である加藤孝造先生で、志野、黄瀬戸、黒織部の作品制作なさっていること、美濃が一大陶芸産地であること、美濃陶芸協会のことなど話させていただきました。
レクチャーの様子はボストンの新聞(下記参照)にも取り上げていただきました。
異郷の地でも良くしていただき、幸せなことと認識しています。


[ 2017年7月26日・シンシナティ ]

おいら、ボストンの新聞に結構大きく取り上げていただきました。
(内容は、ボストン市ノーウェルの陶芸スタジオのオーナー、リサ・ハワードと知り合ったいきさつ、人間国宝の伯父のこと、父の製陶会社のこと、師である加藤孝造先生のこと、日本の茶陶のことなど)

 

[ 2017年7月22日・シンシナティ ]

陶芸クラブ 「Queen City Clay」でのおいらのクラス初日が終わりました。
相変わらずの抹茶碗クラスだけど、無事に終えることができてホッとしてます。
少しだけ疲れました。この後は……



クラスが終わった後は、みんなでピザを焼きながら楽焼きです。
低温強還元も面白いです。
いい酒杯も取れました!








[ 2017年7月21日・シンシナティ ]

【徒然なお話-2】
シンシナティと縁ができて14年。毎夏のボストン、シンシナティ3カ月滞在も5年目になります。先週、ボストンでの予定を終え、シンシナティに移動しました。
何処もかしこも 見慣れた景色、友人も沢山でき、バスの運転手でさえ 、ヤァ 久しぶり!と声をかけてくれます。確かにここは「異国の地アメリカ」ではあるけれど、気持ちの上では外国で無くなっています。まして日本の家族と話そう思えばいつでもネット電話で繋がるし、情報入手も何ら不便はありません。
こんな時が1番危険かもしれない。 何も事件に巻き込まれると言った話でなく、人付き合いなど日常的なことの上での話である。どんなに親しくなれたとしても一定の距離感覚は維持すべきだと思うし、この事は日本人同士でも云えるのではないかとと考えています。
ボストンで友人と酒を飲んで話している時の話で、世の中には本当にずうずうしい奴がいるという話になって、私が-親しき中にも礼儀あり-という諺が日本にはあると言いますと、アメリカにはGood fence is keeping good relaytionship. - 適度の垣根の高さは良い関係を維持する、という言葉があるとと教えてくれました。
勿論よそよそしいのは他人行儀で良くないので、その見極めが難しいところではあるけれど、、。「情緒ある図々しさ」は外国人とお付き合いさせていただく上においては会話ができる以上に大切かもしれません。
そんなことを思い、この5年の節目に来年6年目はどうしたものか思案の毎日を過ごしています。
ところで、日常の生活ですが、よくスーパーにも連れて行かれます。
こちらの店も品質によりランクがあり、また 同じスーパーの中でも一般野菜とオーガニック野菜と コーナーが別れています。さすがに肥満大国なだけあって
そのあたりの意識は高いです。
以前は絶対無理でしたが、この内陸地のシンシナティでも種類は少ないですが美味しい刺身は食べられます。言ってみれば、スーパーで買い物が出来れば、あと少し会話が出来れば、どなたでも生活で 不自由することは無いと思います。


[ 2017年7月15日・シンシナティ ]

恒例の「イクさん歓迎パーティ」を開いてくれました。





[ 2017年7月12日・シンシナティ ]

今日は、友人スティーブとその友達のパフォーマンスのオトモです。



[ 2017年7月11日・シンシナティ ]

もうシンシナティに来て5日が経ちました。
写真はボストン最後の思い出です。
この辺りは干満の差が大きくピークにはこの様な滝が現れます。



[ 2017年6月27日・ボストン ]

ただいまボストンに滞在中。近くの海岸です。

 

ボストン郊外の友人の工房て作陶しています。

 

茶盌の生地が出来ました。

 

マサチューセッツ湾の落日。

 

[ 2017年6月27日・ボストン ]

【徒然なお話-1】
初めてシンシナティを訪問したのはもう13年前であるし、毎夏3ヶ月間のアメリカ滞在も今年で5回目となり、ボストンも4年目になった。おかげさまで会話もほぼ困ることもなく過ごせるようになった事は嬉しい限りではあるが、それでも完璧には程遠いし、一生 無理な話と思っています。
他所の国々に人たちは簡単に英語でも日本語でも話せるようになるのに、日本人には簡単ではない。これは個人的仮説ですが、今年の流行語、忖度(そんたく)。
私が思うに日本人は相当な割合で忖度でコミニュケーションをとっているし、いちいち言葉で確認するような事はしないし、忖度がないと相手に気をつかわせる。とさえ思っています。英会話ではその忖度の部分も言葉にしなくてはならない。
よくKY,,, 。学生の頃にはセンパイに自分で判断しろ!(センパイに趣旨に合うように忖度)とどやされたりもしました。
このように日本は感覚で支えられた社会で、
よく日本は外交が下手でいつも不利な状況に追い込まれる。とボヤく方がお見えまですが、どれだけ優秀な外交官であっても幼少の頃よりより育まれた、-言わなくと此れくらいは相手も承知している-という忖度感情につけいられる空きが生まれるのではないかと思っています。結果、相手に合わせた会話が出来ていない。という事ですね。
個人的には初めの返事は全てNo!です。とりあえずいやや!と言っておけば、相手がいろいろ歩み寄って来ますから。後からYesに変更は難しくないです。

こう言いますと忖度が悪いように思えますが、日本社会の中においては非常に便利な道具であり、外国人には計り知れないものであります。良い例として-以心伝心-という忖度に似た言葉がありますが、英語に訳しますと、テレパシー、彼らからすると超能力者になってしまいます。笑ってしまいますね。
もう一つ、日本人が英語が苦手になる理由としては必要性を感じないから、どんな学問でも日本語訳の本で勉強出来ます。いかに素晴らしいご先祖様がいたか認識と感謝をしなくてはなりません!

もし私に英会話について尋ねられたらこう答えます。
- 中学校までの文法の復習。
-100キンで辞書を買ってきて車の中、トイレなどそこら辺に置いておく。
-日本語でいいから、例えば、ホテルのフロントでの話を想像してみる。

小さい子供には
- 英語なんか教えなくていいから、かわりに一年間同じ英語のアニメを365日かけておく。 - 何気に耳をならせる。
- 日本語の本を何時も読み聴かせる -日本語 言語能力をたかめる。 など。

如何ですか?判断は各々で!